僕の奥さんは娘の中学受験に向けて、塾に通わせている。
娘のテストの点数に対し、一喜一憂する様は、異様だ。
なぜなら、テストの点数を見て、悲観するだけでなく、娘をさらに追い詰めるからだ。
このことを何とか改善したく、試みたことと、最終結論を報告する。
母親の過去を娘に投影している!
なぜ、母親が執拗に子供の点数を気にし、そして勉強を無理強いするのか。
なんとか手を打たないと、娘が潰されると心配になった。
そこで僕は、母親の思い込みに原因があると推定し、母親の心理を探ってみた。
すると娘を良い大学に進ませたいから勉強させているという。
さらに掘り下げると、母親自身が大学受験で良い大学の受験に失敗したということがわかった。
ここで、一つの考え方を採用する。
目の前の現実は、自分の心を反映している、と言うことだ。
すると原因分析の結果は、母親の中にある、大学受験に失敗する、という恐れが、現実の娘への執着に再現されていると考えられる。
なんとか母親の大学受験に対するトラウマを癒したいと思い、あれやこれやアプローチしてみた。
そんな過去があっても今が幸せであること。
もし良い大学に行っても、レベルについていけず辛かったかもしれないこと。
しかしながら、後悔は解消されなかったようだ。
現状の問題点と改善方法!
そして、子供への態度の改善に向け、別のアプローチを試みた。
現状、子供のテストの点数という結果に対して、評価している。
無論テストの点数が低ければ、がっかりして、娘を責めることとなる。
責められた娘は、テストに対する恐怖心が大きくなり、勉強に対する意欲も減少していくことになる。
それに対しては、逆に考えることで、改善することができる。
テストを受けるにあたり、塾に行ったり宿題をしたりと行動をとっているわけで、その行動に対して褒めてあげるのだ。
結果を褒めるのが難しかったとしても、行動ややろうとした意欲に対し褒めてあげることができる。
そうすると、娘はやればやるほど褒めてもらえることになる。
もっと勉強(行動)して、褒めてもらおうという気持ちになり、モチベーションが上がるはずである。
そうすると、結果も徐々についてくるという算段だ。
つまり、欠乏を嘆くのではなく、充実した部位にフォーカスして、満たされている喜びを感じる、ということだ。
娘に対する態度として、このことを、母親に伝えてあげた。
しかしながら、まだ響いていないようであった。
相手へのアドバイスは、自分へのアドバイス
母親の考え方に問題があると思い、あの手この手で対策を模索していた。
その時、あることを思い出した。
相手へのアドバイスは、実は自分に対するアドバイスと言うことだ。
部下に対して、報告するときは結論を先に言って、その後補足説明しなさい、と指導した後、自分もできていなかったなと、はっとする場面があった。
人のふり見て我がふり直せ、と言うことわざや、自分の内側が写し鏡のように目の前の現実として現れる、とか、このことは良く起こっている。
これらのことを今回に適用してみた。
結論=妻を労わる
自分は、母親に向けて、「どうして娘を責めてばかりいるんだ、もっとできている部分を褒めなさい」、と言っていた。
これを自分へのアドバイスに置き換えてみる。
「どうして妻の欠点にばかり見て責めているんだ、もっと妻の普段の頑張りを労いなさい」という声が聞こえてくる。
あー、本当だ。
自分自身、妻を褒めることを、全くしていなかった。
褒められない妻は、いわゆるストレスを抱え、そのストレスを娘に向けてしまったのかもしれない。
そのことに気づいた自分は、妻をハグして、いつもありがとう、頑張っているねと言った。
そして、「欠点ばかり見て、責めてばかりでごめんね」、と心から謝ると、少し涙が出る。
奥さんは、「そうよそうよ、もっと褒めなさい」、と嬉しそうに言った。
このように、真の対策は夫の態度であったのである。
おわりに
自分自身が母親と娘の間の問題と思っていたことは、ダミーだった。
(本人たちは二人は、仲良くやっているそうだ)
そのことを問題と感じているのは自分であり、本当は僕と妻の間にある問題だった。
教育ママにしてしまったのは、夫の態度だったのだ。
どこまで行っても、目の前で起こっていることの原因は自分の中にある。
形而上学的視点は、ひたすらに自分の中に答えを発見させてくれる。
ここ最近、これまでの学びが一気に具体化して自分の内面を洗い流していくようである。
この調子で、名探偵が犯人を暴き解決するかのように、目の前の問題に対して、自分の中の原因を特定していきたいと思った。
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